理系スタイル

アクセスカウンタ

zoom RSS 続 わからないことは恐ろしい

<<   作成日時 : 2010/01/09 06:34   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

前回の、わからないことは恐ろしい、に反響がありましたので
今回は補足の続編を書きたいと思います。


事の発端は、ここ一年ほど私が考え続けている問題です。
それは、普通の人の科学技術教育はどうあるべきか?
ということです。

確かに科学技術は現代社会の基盤を作っている重要なものです。

しかし、そんなことは専門家だけがわかっていれば良いことで、
一般の人にとっては学ぶ必要がない、
という意見も、私には説得力があるように思えます。


というのも、自分で勉強し続けると、キリがなくなるからです。

例えば、「電磁波」という話題にしても、
突き詰めて勉強し始めると、次から次へと難問が振ってきて
とても他の仕事をやりながら学べるものではありません。

さらに、本当に最先端の技術の中には、
実はよくわかっていないことも多いです。
それを教えることさえ、非常に困難を伴うわけで、
本当の意味で、専門家と同じレベルで理解することは、
現実的ではない、と考えるのが自然でしょう。

ですから、技術的な危険性そのものは、
専門家しか判断できませんし、そうあるべきです。

だから、技術者には高い正義感と倫理観が求められるわけです。

科学技術が社会に求めることは、科学技術自体を監視するのではなく、
それを作り出す人間を監視することであろうと思います。


それでは、専門家でない人にとって、
科学技術は全く勉強する必要はないのでしょうか?

これは極論で、直感的にもおかしいと思いますが、
学ぶ必要があるとすれば、その目的は何なのでしょうか?

専門家と同じレベルで理解するのは事実上不可能である中
求める知識レベルはどの程度であるべきなのでしょうか?


そこで考えたことが、技術が「腑に落ちる」こと。
言い方を考えれば、燃料を食って動力に変えるエンジンのように、
技術に対するイメージがわくこと。

これが科学技術教育の目標。
そして、目的は「わからない恐ろしさ」を取り除くことです。

それが、技術にかこまれて生活せざるを得ない現代で、
人間の精神の安定を保つ条件だと考えています。

また、「わからない」という理由だけで、危険性を過剰評価したり、
便利な新技術を利用するのをためらわすことは、
とても残念なことですからね。


そんな、技術を腑に落ちた人が社会に広がれば、
専門家にとっても社会との一体感が高まり、
結果、専門家の正義感や倫理観を育てることにつながります。

その結果、より安全な科学技術を利用できることに
つながるのではないでしょうか?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こういうのはどうですか。
「電磁波でDNA損傷の研究公表を産業界が妨害」告発・爆弾証言(米国議会公聴会
http://ameblo.jp/kitakamakurakeitaing/entry-10360551692.html

科学、と一筋縄には区切れないものがあるようです。
エビデンス、の前にエビデンスを出させない動きですね。
こういうのはどうですか
2010/01/09 10:22
こんな動き(情報の隠蔽)は
決して擁護できませんが、
心情的には理解できるものもあります。

原発の問題で組織の隠蔽体質が
問題になっていますが、
どんな些細な事故でも、過剰反応されて
鬼の首をとったように騒がれるでは、
「些細だから隠してしまえ」
と思うのも無理からぬことです。
人間は皆聖人ではありませんので。

そして、その過剰反応の本質的な原因が
それが何か「わからない」ことなのです。
わからないものは恐ろしいのです。

私のいう「技術が腑に落ちる」
感覚をみんながもてるようになれば、
社会が技術に対して過剰反応しなくなる、
そして専門家も安心して正確な情報を
提供できる。

そんな社会を目指すべきなので
ないでしょうか?
理系スタイリスト
2010/01/10 15:51

コメントする help

ニックネーム
本 文
続 わからないことは恐ろしい 理系スタイル/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる