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zoom RSS 数学は偽りの世界にある学問だ

<<   作成日時 : 2011/09/13 01:56   >>

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数学という学問は理想的な条件を仮定した
学問体系の上に成り立っています。

こんなことを言うととても難しそうなのですが、
哲学と対比させて、理想的な条件がどのようなものなのか
良い例えを思いつきましたので、その話をしたいと思います。


哲学の問題で、次のようなものがあります。

人間が3人いるところに、車が突っ込もうとしている。
このままだと3人とも死んでしまう。

一方、自分の前にいる別の人を押して車にぶつければ、
押された人は死んでしまうが、3人は助かる。

さて、自分は前の人の背中を押すべきだろうか?



これは、3人の命と1人の命だと、
やはり3人の命の方が重いのか?
3人の命のために、1つの命を犠牲にする権利があるのか?

などという、哲学的な思考につながるわけなのですが、
今回はちょっと違う方向から、この問題を考えてみたいと思います。


もし、実際にこのような状況が存在したとしたら、
ほとんどの人は前の人の背中を押すことはないでしょう。

なぜだと思いますか?

………………………………………………











なぜならば、実際の状況では、前の人を押したところで、
本当に3人が助かるかどうかなんてわからないからです。

もっと言うならば、そのまま放っておけば
3人が確実に死ぬ、なんてこともわかるはずがありません。

拍子抜けしましたか?


そう言うと、恐らく出題者は、こんな風に返すでしょう。
「それはルール違反です。 前の人を犠牲にすれば、
 必ず3人は助かるという前提で答えて下さい。」

この指摘は、ある現実にはあり得ない、
理想的な条件で考えて下さいということです。


この考え方が数学の世界と現実の世界の
関係に良く似ていると考えています。

つまり、数学というものも現実の世界を
数学の都合が良いように、理想化させた論理体系なのです。


例えば、数学でいう点は半径ゼロの円です。
また、数学の直線は幅が0で、長さが無限大の長方形です。

こんなものが現実に存在するわけがありません。

数学というものは、こんな現実に存在しないものを
仮定したルールの上に成り立っているのです。

悪く言うと、偽りの世界の学問、
となってしまうわけです。

数学自体は完璧な論理体系なのですが、
最初の仮定が現実と異なってしまっているので
現実の世界を完璧に表現することはできません。


もちろん、それで数学の有用性が失われるわけではありません。
部分的であっても、現実と対応をつけながら役立ってきたので、
人間の歴史の中で、数学が研究されてきたわけです。

人間とって有用なものではありますが、
たしかに限界は存在しているということを忘れてはいけません。
哲学も数学も…。

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内 容 ニックネーム/日時
日本人に関する '有ること' と '無いこと'。

感性があって、理性がない。
感想を述べるが、理想を語らない。

現実の内容はあるが、考え (非現実) の内容はない。
事実は受け入れるが、真理は受け入れない。

実学 (技術) は盛んであるが、哲学は難しい。
実社会の修復はあるが、理想社会の建設はない。

現実の世界は信頼するが、非現実の世界は信じない。
現実の内容を再現すれば、それは模倣である。
考え (非現実) の内容を実現 (現実化) すれば、それは創造である。
模倣力はあるが、創造力がない。


http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

noga
2011/09/13 11:24

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