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zoom RSS 脳死こそが人の死だ

<<   作成日時 : 2010/06/30 23:57   >>

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技術の発展が人の意識を変えてしまう。
そんなことを人の死を例にして考えてみたいと思います。

現在、人の死というのは、心肺停止状態が継続した状態とされています。

よく、脳死は人の死か?、という問題が投げかけられますが、
日本では、一般的には、人の死とされていません。

でも、僕は、逆に脳死こそが人の死なのではないかと考えています。


それは、こういうことなのです。

例えば、技術が発展して、SF映画などでよく登場するサイボーグが
実現できるようになったとします。

さて、ここで、ある人が脳だけを取り出して、
他の物体(他人の人体やロボットなど)に移植したとします。

つまり、記録や思考回路は元の人のままだけど、
体が違うモノになってしまった人?です。

一方、ある人の体だけを取り出して、
脳の部分をコンピュータや他人のものに取り替えたとします。

つまり、顔や手、足など体は元の人だけれども、
記録や思考回路は別のモノになってしまった人?です。

この2者のうち、どちらが元の人に近いのでしょうか?


人によって意見は分かれるかもしれませんが、
僕は前者(脳が元の人)こそが、
元の人といえるのではないかと考えています。

例えば、自分の家族が不幸にもそんな状態になったとして、
僕がその人を自分の家族と認識するのは、
自分との記憶や考え方だと思います。

たとえそれがロボットであっても、
昔話や会話ができれば、それを人と思えるのではないでしょうか?

となると、人間の本当の本質は脳のソフトウェアにあり、
人体というハードウェアにはない、ということになります。

この考え方によると、人体の死である心肺停止よりも、
脳の死の方が、人の死として本質的なのではないか
という結論が導かれるわけです。


ただ、現在の医療技術だと、多くの場合、
心肺停止は確実に脳の死に結びつくので
こんな議論は必要にはなりません。
(サイボーグなんて作れません)


しかし、医療技術が進んで、心肺停止と脳死を分離できるようになった時、
こんな議論が不可欠となってしまうのです。

iPS細胞が研究され、臓器の生産?が可能になるとも言われています。

もしかすると、こんな時代は思ったより早く来てしまうしれません。

技術開発の恩恵を十分受けるためには、
受け手の心構えも必要なのです。

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